セカイ・根源・アレテイア

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カフカ『城』読書会 メモ

本文章は、12/17(日)、新宿某所に於けるカフカ読書会の議事録メモです。今回の読書会では、『城』を扱いました。

 

後日、この文章を元に、自身の解釈を、整理して提示します。文章中では、参加者から提示された意見を区別せずにまとめています。

 

 

・『城』の解釈的多様性

本作は、カフカの死後、M.ブロートによって編集出版された、未完の長編小説です。従って、物語全体を貫く意味性を見出すことは容易ではなく、読み手によって多様に解釈の異なりうる作品となっています。作品を通じて頻繁に視点の変動が起こり(顕著なあらわれとしては人称の変化)、常に新しい情報が後出しで積み重なることで、登場人物の印象は複雑に変動します。

物語は主人公と村人たちの会話によって進展し、それぞれの登場人物のキャラクタ性は、実際の言動ではなく、会話中の伝聞・解説という形で提示されます。従って、読者に示されるキャラクタ像は、神の視点による客観的属性として提示されるのではなく、常に「誰かがそう評価する」人物として描かれています。この点では、非常に我々の現実と近い描かれ方をしているように感じました。

その意味では、真にトートロジーではありますが、作品そのものが一意的な意味付けを拒む点で、『城』は極めて「『城』的」な作品であると言えるでしょう。

 

・寓話作品としての『城』

登場人物の誰もが、我々の正常感覚からはいかばかりかズレていて、彼らのコミュニケーションは身体的には過密である一方、精神的には極めてよそよそしいものです。本作をその構造から解釈することは困難ではありませんが(例えば、近代的個人の葛藤だとか、全体性への警句だとか)、実際に文章表現に当たると、真に主人公を「近代的個人」と評価することが可能であるかは疑わしく感じられます。

但し、「公的と私的の癒着」「表象/視覚情報への懐疑」「解釈によって構築される他者」といった幾つかの構造は、明確に、繰り返し提示されるものであり、ある程度確かな意味を見出すことは可能であると考えられます。

 

・解釈の基盤

アーレントの「現れの空間」、構築物としての他者、解釈的多様性、公的と私的の癒着