セカイ・根源・アレテイア

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『アテナイに於ける「暴力」的政権の記憶と記録』

 

論文名:アテナイに於ける「暴力」的政権の記憶と記録 

著者:高橋秀樹

所収:新潟大学資料学研究 6号 pp.35-45

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwiRjuvsh47XAhVTNbwKHf_fBGUQFggqMAA&url=http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/12975/1/04_06_Y0003.pdf&usg=AOvVaw0G1BaDVIRpBx_RoaJu7ZLM

 

   

 

本稿は、アテナイ僭主政(ソロン以前~ペイシストラトス)に於いて用いられる「暴力」概念と、その後のアリストテレスに見られる「暴力」概念の変化についての論考である。

   

 

 

本稿は、ソロンの「暴力」概念からスタートする。

彼はオリンポス神話の「暴力」概念を援用し、僭主政の中心に正義に制約されない「暴力」を見出して批判したが、ペイシストラトスが「暴力」に拠らない合法的な僭主政を現出したことで、この構造は断絶した。

時代が下ってアリストテレスの『ポリテイア』に於いては、僭主政の定義に神話性を帯びた「暴力」は見られず、支配者と被支配者の意志の問題、即ち主体を持った個々の市民が前提とされた政治観が展開されている。

これは政治が脱神話化して市民の物となったことを意味し、古代民主制に繋がる第一歩であった、と筆者は述べる。

 

  

  

ソロンは、僭主政を「僭主が暴力を持って市民に相対する政治体制である」と定義した。

彼の用いた「暴力」の概念は、単なる物理的力の行使ではなく、オリンポス神話に於ける神々の一柱、bie(或いはbia)である。

古代ギリシャに於ける神々は、人々の生活から遊離した物語の上の存在ではなく、各々の意思を持って世界に存在する主体であった。

ヘシオドスやホメロス、ソロン自身の詩篇にも「狂気が人をつかまえる」等の表現が見られるように、この時代に於いては、人間の心理作用や諸行為は、一個の人格の中で統合されているものではなく、能動的に働きかける神々の力によって成立しては消えていくものと考えられていた。

ソロンの用いた「暴力」も、そのような人間の外にある能動的主体としての存在を含意している。

  

 紀元前594年、アイシュムネーテース(全権調停者)として独裁的権限を得たソロンは、自らの権限を僭主政のそれと区別しようとした。

「私は暴力によって僭主政のようなことをするのではない」「私は力で以って暴力と正義を一つに結び合わせながらこれらの事を為し、約束した通りに完遂したのだ」

彼がここで取り上げ、僭主政が体現すると示す「暴力」は、正義と結び合わされていない、「生のままの(ameilichos)」暴力であり、彼自身の独裁的権限は、「正義と結び付いた暴力」として画されている。

ソロンはこの構造を示すことで、僭主政は神的秩序に不適格な政体であると示そうとした。 オリンポス神話に於ける「暴力」は、はじめゼウスに従わない荒ぶる神であったが、後にはゼウスに忠誠を誓うこととなる。

  

ソロンの後、ペイシストラトスが独裁的な権力を握る。

しかし彼の政局運営は、「暴力」的なものであると言うよりは、穏和で合法的なものであった。

これによって、ソロンの提起した、「ゼウスに服さない生の暴力に拠る僭主政は神的秩序に相容れない」との批判は力を失う。

ソロンの提起に於いて既に「生のままの」「正義と結び付かない」と付言されていたように、既に「暴力」の定義は動揺していた。

その上でペイシストラトスの僭主政を「暴力」に拠るものと考えるならば、既に揺らぎつつある「暴力」が、その定義そのものを変化させる必要に迫られる事になり得たのである。

  

さて、ペイシストラトス家の僭主政は、スパルタの攻撃によって終焉を迎えた。

しかし、アテナイ人は、僭主政終焉の象徴として、スパルタの攻撃ではなく、二人のアテナイ人による、ペイシストラトスの子・ヒッパルコスの暗殺を記録した。

二人の「人間」によって僭主政が終焉を迎え、民主制への改革に繋がっていくことが、アテナイの公式の記録とされたのであった。

  

次に「僭主政」の概念が登場するのは、アリストテレスの『ポリテイア』を待たねばならない。

そこでは僭主政は三つの段階に分けられており、ペイシストラトス家の僭主政は第三の類型に収められている。

それは、「全く責任を問われずに、自分と同等か優れた者を、支配されるものの利益ではなく自身の利益の為に支配する独裁制」である。

ここに於いては、もはや僭主政のうちに神話的な「暴力」の要素は存在しない。

人間の上に存在する能動的な主体としての神格は現れず、単に支配者と被支配者の意志のみが問題とされている。

纏めれば、ペイシストラトス家の僭主政以前は半ば神話的領域に於かれていた政治が、ヒッパルコスの暗殺を象徴として、アリストテレス以降、人間の意志の問題として記録されるように、即ち認識されるようになっていったと考えられる。

かくして能動的な主体としての地位を得た個々人の市民は、個人の見解を衝突させつつ政治的意思決定を行う、古代民主制の時代に入っていく事となる。

 

 

本文の内容理解はここまで。問題があれば指摘して頂きたい。

  

 

まずは総評として、「人々が概念を如何に記録したか」に着目し、整理された論旨と構造を提示する点で、論理展開は極めて分かりやすい。

人間の(或いは人々の)観察と記録は、当然ながら、彼らが何を如何にして認識しているかに大きく依存する。

こと研究資料を主観的記録に依存しがちな古典研究に於いて、この点に着目し、纏め上げたことは評価に値する。

 

 一方で、以下のような疑問点も残る。

 

  1. 僭主政と「(生の)暴力」との観念的結合は、ペイシストラトス期には現実との軋みを生じさせ、その限界が神話から人間への移行を可能とした、と筆者は論ずる。しかし、僭主政と暴力の結合は、まさに前任者達と自身を区別したいソロンの提起によって現れたものである。ソロンの定義に於いて政治が神話的様相を有していたからと言って、それをソロン以前から続くアテナイの政治認識として拡大することには無理があるように考えられる。
  2. 「あくまで僭主政を暴力という神格と結び付けて考えようとするなら、暴力という神についての観念そのもの、つまり暴力の定義そのものを変えてしまわざるを得ない状況に直面した」(p.41)  なる部分の論証は、些か早急に過ぎる。確かにペイシストラトスの僭主政は、ソロンの定義した「暴力」とは結び付かない。しかし、本論文の指摘するように、「暴力」という神格自体は、「生のままの暴力」と「ゼウスに従う暴力」の二つの側面を持つ。ペイシストラトスの僭主政が、ソロン同様、「ゼウスに従う(正義と結び付いた)暴力」として認識されることはあり得なかったとは考え難い。となれば、僭主政が結び付かなくなったものは、「暴力」という神格それ自体ではなく、「生のままの暴力」であり、「ゼウスに従う暴力」へと変化したと捉え直される可能性を残す。「暴力という神についての観念そのもの」を変える必要は無いのである。
  1. ペイシストラトスの僭主政以前は神話的領域に於かれていた政治が、ヒッパルコスの暗殺を象徴として、アリストテレス以降、人間の意志の問題として認識されるようになっていった」との解釈は、私も誤りではないと考える。しかし、その転換点を、僭主政と「暴力」の結び付きの動揺のみに大きく求めることは、2.で示した論拠から、困難であると考える。「暴力」の動揺は、要因ではなく結果の一つとして捉えるべきであろう。 

 

 

本稿に関する議論は常時歓迎している。